母に容姿をめちゃめちゃdisられた話
今年の秋に、母、妹、わたしの3人で旅行をした。
このメンツでの最後の旅行がいつか思い出せないほど、かなり久しぶりの家族行事である。
行き先は鳥取、島根。
島根の足立美術館に行きたいという母に、それなら水木しげるロードのある鳥取の境港にも行きたい、とわたしが便乗して、二泊三日の山陰旅行が決定した。
足立美術館、水木ロードに加え、出雲大社、玉造温泉、松江と行きたいところは山とある。ツアーではないので計画を立てるのが上手な妹が旅のしおりを作ってくれて、相談しながら無駄のないようにタイムスケジュールを組んでのぞんだ。
1日目に鳥取の米子で食べたのどぐろの炙りと蟹肉たっぷりのカニクリームコロッケは今すぐまた食べに行きたくなるほど美味しかったし、翌日訪れた島根では出雲大社と出雲そばとぜんざいの王道コースを満喫、夜は勾玉の生産地として有名な玉造温泉に泊まったところ泉質が最高で、勾玉という中二心をくすぐるモチーフが街中にちりばめられていて興奮した。最終日は松江に移動して、観光案内所の丁寧で感じの良いお姉さんに「松江に来たら行っておかないと」とおすすめされて松江城に立ち寄った。さすが国宝というだけあってのその威厳と貫禄に度肝を抜かれた。ちょうど鼕行列という松江城の開府を祝う伝統行事をやって賑わっていたのも良かった。
ここまでは順風満帆、妹の計画のおかげで交通機関の乗り継ぎで不自由することもなく、すべての場所を満喫できた。
それからバスで境港まで移動して水木ロード&漁港を見て米子空港に移動して帰る、という予定だったのだが、ここから雲行きが怪しくなってくる。
水木ロードでちょっとした仕事関係の予定を入れていたわたしは、すれ違いがあって約束のお相手となかなか会えず、予定より母と妹をだいぶ長く待たせてしまった。漁港に行く時間はおろか、帰りの飛行機に間に合う時間のバスも電車もロスしてしまったので、急遽タクシーを呼んでもらって15分ほど空港に向かい、事なきを得た。
母と妹には待ちぼうけをくらわせてしまってとても申し訳ないことをしたと思いつつ、結果的には余裕の時間で空港についたこともあり、妹は「大丈夫。取引先の人と無事話せて良かったね」と言ってくれたが、一方の母は空港に向かうタクシーから帰りの飛行機まで一言も発さなかったのだ。黙々と本を読んで、「じゃあ、わたしはこのバスで帰るから」とろくに会話しないまま羽田で解散してしまったのだ。
これにはわたしも妹も困り果てた。帰り道で
「わたしのせいで焦らせちゃったのは申し訳なかったけど、ここまで怒る?」
「だいたいお母さんはせっかちすぎるんだよ。わたしたちが余裕なスケジュールを組んだのにどこにいても15分くらい前になるとそわそわして急かしてくるから全然落ち着いて見られなかったし…」
「わたしたちも母のそういうところをしっかり理解していかないと、お互いにストレスになっちゃうね」
「せっかくの旅行だし、気を付けよう…」
などと反省していたところに母から届いたLINEがこれである。
「旅の終わりが楽しいものでなくてごめんよ。
さて、他人は言ってくれないだろうことを家族なので敢えて言います。 ピン子は自分の後ろ姿を大きく写真に撮ってもらって、
一度じっくり眺めるといいです。 私が今回感じたことに気づくだろうから。
まず、弛緩した体形やO脚の脚は努力と姿勢に気を付けることで改善され るはずなので頑張ってください。
問題なのは、ほつれたスカートを平気で履く神経です。スカートやパンツは縫製のしっかりした物を是非買ってください。 それだけで随分すっきり見えるでしょう。
あとは、みすぼらしくみじめな印象を与えない持ち物を持ってちょうだい。 高価でなくていいから、せめて型くずれしていない、 きちんとした物を選びましょうよ。
人間、内面が重要なのは言うまでもないけれど、
今日みたいな服装で、仕事関係の人に会っているとしたら、絶対マイナスな印象を与えていると思います。
いろいろ言いましたが、聞く耳を持ってくれることを願います。」
あまりに予想外だった。なんと、日程のことではなくわたしの容姿や立ち振る舞いにげんなりしていていたというのである。これには大変意表をつかれた。意表をつかれた上に大変ショッキングな内容である。
「旅の段取りじゃなくて、わたしの見ために対してあそこまで不機嫌になったってこと…?そんなことってある…?」
あまりのことに、妹も言葉を失っていた。
最寄駅について「お姉ちゃん、飲もう…」と気を遣ってくれた妹に慰められながら家でビールを飲んだ。
そして翌日、母に返信をした。
旅先で慌ただしかったことを怒っていると思って今後は改善しようと思っていたこと、ただ、常に焦らされるのは嫌だったこと、そこでいきなり容姿のことを言われて驚いたこと。スカートは(たしかにスリット部分が少し裂けていて見た目はひどかったけど)妹が誕生日に選んでくれたものなので捨てずに着ていったこと、ふだん仕事で背筋を伸ばして接客しているので旅行中は家族の前くらい、と気が緩んだかもしれず気を悪くして申し訳なかったけど、自分の問題提起と論点が違いすぎてちょっとすんなり受け入れられそうにないことなどを伝えた。
本当のところはやっぱり時間のことでイライラしたのが原因で、見た目のことは勢いあまってついでに言ってしまったことなのではないか、という気持ちも少しあった。
するとこんな返事が来た。
「書きにくかっただろうに、返事してくれてありがとう。
焦らせてしまったことはごめんなさい。
職場でも気をつけなくてはいけないと思います。
今回、3日目の仕事の段取りでイライラしてしまったことは事実だけど、 初日から残念に感じてしまったのが、ピン子から受ける、 だらしないというか言葉は悪いですが冴えない印象でした。
ピン子が上司にも、取り引き先の方々にも可愛がられていることは有難いことと思って いますが、仕事も頑張っていることと理解していますが、
なぜ、外見に気を使わないのかと、とても残念に思ったのです。思い入れのあるスカートをけなして本当に悪いけど、 体型をカバーして、 自分をきれいに見せる物を身につけるようにしてほしいと切に思い ます。(略)
姿勢に気を付けているということなので、そのうち後ろ姿もきれいになるのかもしれぬと期待しますが、 旅行中の3日間は悪いんだけど、 何とかならないかという思いが日々膨らんでいきました。
というわけで、日に日につのっていた気持ちが、3日目の境港で出てしまいました。服装と同じように、 仕事に対しても緩んでいるんじゃないの?
と、思ってしまいました。
メールで傷付くことをいろいろ言ったことは謝ります。でも、どうしても服装、持ち物、 姿勢などの外見は何とかなるはずと思ってしまいます。
中身の良さを外見が半減させてます。
(略)
少しいい物を買うなり、前歯だけ矯正するなりしませんか?
30や31なんて、若いんだから。もっときれいになってほしいと思います。
長々ごめんなさい。」
やっぱりわたしの容姿が原因かい
しかも30年生きてきて歯の矯正のことも一言も言われなかったのに(自分では少し気にしていたけど)、ここにきて言われたのもショックだった。
自分に対してここまでのことを思っている人の前に姿を現すのはたとえ母でも気が引けて、しばらく実家へ向かう足が遠のいた。優しい妹は「ここまで言うなんてお母さんは本当にひどい」と怒っていたこともあり、旅行前はどこ行く、なにする、と賑わっていた家族のLINEグループも息をひそめた。
せっかくの家族旅行が台無しになったのだった。わたしの容姿のせいで。
わたしも妹のように「ここまで言うなんてひどい」という気持ちでいっぱいだったし、母に怒りすら感じていた。けれど、日に日に母の意見はもっともであると思うようになった。
たしかに服はいつもテキトー、すっぴんで、見た目に気を使っているとはいいがたかった。考えてみれば親友たちにも会うなり
「その服どこで買ったの?捨てれば?」
とよく言われていたし、
元女上司は新しい服を着ていると
「珍しく毛玉ついてないと思ったらそれ、あたらしい割烹着?」
などとよく言ったものだった。
しかし彼女たちのdisは愛のあるdisだったし、わたしを傷つけまいとユーモアいっぱいに伝えてくれるので、わたしは「ひどーい」と笑うだけで、全く改善しなかったのだ、むしろおいしいくらいに思っていた。
さらに自分としてはオンオフを切り替えていたつもりというのもあった。
昼の仕事は見ためのことをまったく厳しく言わないところなのでかなりゆるゆると好き放題に働きつつ、ここ1年ほどは金曜の夜だけは正装、ヘアメイクをして夜、クラブに出勤している。そこでは少ないながらも指名のお客さまがついて、ほぼ毎月上位ナンバー5入りをしていたため、自分の中では「やる気になればできる、普段は出していないだけ」という自負のようなものがあったのかもしれない。
しかし、考えてみればそんなのはいい年をして普段怠けていることへの言い訳に過ぎなかった。
そしてわたしは、 母のように厳しく言われないとダメなたちの人間だったのである。
というのに気付いたのは、今も仲良くしてもらっている件の元女上司-具体的には学生時代に働いていた六本木のスナックのママーに「母にこんなことを言われて…」とLINEを見せたところ、爆笑しながら
「お母さん今までピン子の何を見てたの」
と言われたからである。さらに彼女は
「最近はつっこむのも面倒になったから、あんたの首から下は見ないようにして、蜃気楼みたいにぼんやりとしか認識してないわよ」
と続けた。
ちびまる子ちゃんだったら顔にタテ線・白目で「わたしって一体…」と言っていただろうし、友蔵だったら泣きながら「三十路すぎ 首から下は蜃気楼」と心の俳句を詠んだかもしれない。蜃気楼て。
冷静になって考えてみれば、母の言っていることと元バイト先のママが言っていることが根本的には全く同じであることがわかる。
そのことに気づけなかったのは、相手との関係と、その語り口が違いすぎたからである。
家族ゆえ、シリアスに伝えるか、元従業員の気楽な飲み仲間ゆえ、ユーモラスに伝えるか。
そこだけの違いだった。
それにしても蜃気楼て。
それに気づいてからは、母への反発心が薄れていった。反省もしたし、これまでより少しだけふだんの見た目を気にするようにもなった。
新たにスカート、パンツ、トップス、靴を買った(全部ZARAだけど)。
おしゃれでスリムな妹がコートや、ファミリーセールで買った新品のタイツや靴下をたくさんくれた。
そうして、最近は少しずつだけどまともになって来ている、気がしている。
いい大人の娘に、心を鬼にして言ってくれてありがとう。
それにしても、シン・ゴジラ問題でもそうだったように、こんな年になって気づく当たり前のことが多すぎて、またしても恥ずかしい気持ちでいっぱいである。
そういえば、なんと今度の年末は母と妹と北陸旅行に行くこととなった。福井で年を越す予定だ。
お母さん、今度はもうちょっときちんとしていくからね。